浅草伝法院通り商店街振興組合
伝法院通り専門店会は仲見世商店会とオレンジ通り商店会とを結ぶ延長150メートルの商店街で片側が伝法院に面しているところから名づけられた。
俗に「伝横」と言われる当会は、仲見世から公園六区振興街を抜け西浅草、合羽橋を真っ直ぐに北上野から、両大師の陸橋を登って、上野公園へ出る、いわば浅草通りに対する裏通り道として、早くから賑わい、明治の中頃、すでに商店街を形づくっていた。それだけに「伝横」には商店会が生まれたのは古く大正15年のことである。交和会を名乗り初代会長に牛島藤次郎が就任。ついで戦前までを栗原政十郎氏が二代目会長として活躍された。戦後のスタートは24年。伝法院通り商店会と称え丸山景三氏が会長に就任、2代目会長は関根勝良氏。その間の33年、当会には、「よのや櫛舗」「つるや鼈甲店」などいわゆる個性豊かな専門店がおおいところからその特徴を活かし大いにPRしようと、伝法院通り専門店会と改称。ついでに平成5年には、商店街活性のため改組し、浅草伝法院通り商店復興組合と改称した。初代理事長は改組に指導的役割を果した澤辺守一氏が就任し今に至っている。
戦前戦後を通じ業種には大きな変化はなく、やはり買回り品が多い。近年とくに呉服商の進出がつよく目立っている。老舗には「大黒家」「竹内眼鏡店」「セキネ時計店」「マルミ洋品店」などがある。